創業者・松村厚久氏(初代社長)

 ※読み方:まつむら・あつひさ

松村厚久

プロフィール

年表
出来事
1967年3月 大阪府に生まれる。その後、すぐに高知県に転居する。
1989年3月 日本大学理工学部卒業
1989年4月 日拓エンタープライズ(株)入社。ディスコの店長を務める。
1994年 結婚する。
1994年6月 日焼けサロン店オープン
1996年3月1日 エイアンドワイビューティサプライ(DDホールディングス)を設立
2001年6月 飲食の第1号店「VAMPIRE CAFE(ヴァンパイア カフェ)」を東京・銀座にオープン
1996年3月 (有)A&Yビューティサプライ設立、日焼けサロンを多店舗化
2001年6月 ヴァンパイアカフェ出店、外食市場に本格進出
2002年12月 (株)ダイヤモンドダイニングに社名変更
2007年3月 大阪証券取引所ヘラクレス(現ジャスダック)に上場
2010年10月 100店舗100業態を達成
2015年 東証1部に昇格
2018年 ドキュメンタリー映画「熱狂宣言」製作
2019年 年間の売上高が約500億円に

生い立ち

松村厚久氏は高知で育った。小学生のときは野球少年に取り組んだ。野球の強豪と言われる中学校に進んだ。しかし、レギュラーになれないと判断し、サッカーに転向した。

野球からサッカーへ

高知は野球王国だった。サッカー部なら、すぐレギュラーになれると思ったという。サッカー部のキャプテンになった。キャプテンとしてチームを全国大会の一歩手前まで進めた。

大学

「男は理系」と思い込み、日本大学理工学部に進学した。

サイゼリアでアルバイト

大学時代は、イタリアンレストランのチェーン店「サイゼリヤ」でアルバイトに励んだ。千葉県・津田沼の店舗だった。入学から卒業まで4年間続けた。

持ち前のサービス精神を発揮し、接客アルバイトとしては最高の時給を獲得した。ただ、サイゼリヤのような堅実な運営には飽きたらなかった。

就職

大学を卒業すると六本木の有名ディスコに身を投じた。

ディスコを経営する会社「日拓エンタープライズ(日拓グループ)」に就職したのだ。

ディスコの黒服で社会人生活をスタートさせた。店長を5年ほど務めた。

結婚

1994年に結婚した。

新婚旅行は米国フロリダ州のオーランドだった。

そこで見たお化け屋敷にヒントを得て、後にドラキュラをコンセプトにした飲食店を開業することとなった。

独立・起業(28歳)

結婚を契機に独立・起業した。日焼けサロンを開業した。

1994年6月のことだ。28歳だった。

日焼けサロンが好調

日焼けサロンはすぐに4店舗へと拡大した。当時の女子高生の“顔黒ブーム”に乗り、業績は好調だった。

さらに、ネイルサロンも1店舗開設した。

1996年に法人化

1996年に法人化した。「A&Yビューティサプライ(現DDホールディングス、旧ダイヤモンドダイニング)」という会社名だった。

テーマレストランへ進出

2001年、「テーマレストラン」へと進出した。テーマレストランとは、インテリアやコンセプトに主眼を置き、他店と差別化を図る飲食店だ。

「ヴァンパイアカフェ」(銀座)

記念すべき一号店は「ヴァンパイアカフェ」。東京・銀座に2001年6月にオープンした。

ドラキュラの館

ドラキュラの館をモチーフにした。演出やメニューのネーミングに工夫を凝らし、客にドラキュラの気分になってもらうというのがコンセプト。斬新な店だった。人気店となった。

社名を「ダイヤモンドダイニング」へ変更

2002年、社名を「ダイヤモンドダイニング」に変更した。

東京8店舗で売上高4億円

2004年3月期は売上高4億円だった。東京都内にテーマレストラン8店舗となった。従業員数も150人に増えた。

急成長

テーマレストランはマスコミに取り上げられ注目を浴びる半面、客に飽きられるという懸念もあった。

しかし、松村厚久社長は相次いでテーマレストランを開店した。

エンタメ要素を盛り込んだ斬新な店づくりが強みだった。快進撃を続けた。

初期(上場前)にオープンした飲食店

店舗名 説明
「ヴァンパイアカフェ」

開店:2001年
    
会社としての1号店。
銀座の新築ビルにオープン。
「新和食酒蔵 梟(ふくろう)」

開店:2003年9月
    ↓
閉店:2009年頃
東京・六本木のビルの地下一階。
本格焼酎と地鶏を主力とした店。
知り合いだったホテルオーナーの要望もあり、当初はイタリアンで営業を開始した。
しかし、近くに六本木ヒルズがあり業態の見直しが必要と判断した。
モダンジャパニーズをテーマにインテリアや食器なども外国人に受け入れやすさを与える配慮をした。
「リラックスダイニングテーブル a.t.cafe(エーティーカフェ)」

開店:2003年6月
    ↓
閉店:2010年頃
東京・六本木駅のすぐそばの「ホテルアルカトーレ六本木」1階だった。
「迷宮の国のアリス」

開店:2003年8月
    ↓
閉店:2020年10月
東京・銀座。
正式名称は「ファンタジーダイニング 迷宮の国のアリス」。
約180平方メートル。10席。 月商1,700万円。
ゴシック調の店内とフレンチイタリアンがOLに受けた。
楽しさがあるしゃれたメニューブックだった。
ディテールへのこだわりも繁盛した理由だった。
「黒提灯(ちょうちん)」

開店:2004年2月
    ↓
閉店:2014年頃
和食への挑戦だった。
東京・赤坂。
正式名称は「焼とん・焼とり・焼酎 大衆酒場 黒提灯(ちょうちん)赤坂」。
洋食店の居抜き物件を居酒屋に改装した。
赤坂に何度も足を運び、何が流行っているかを調査した結果、赤提灯系の店づくりを選んだ。
ターゲットは女性ではなくサラリーマンに絞り込んだ。
「竹取百物語」

開店:2004年7月
    ↓
閉店:2014年頃
和食業態をさらに進化させた。
正式名称は「炭火串焼・豆腐料理 竹取百物語」。
東京・銀座の一等地。
コンセプトの立案者は松村氏の当時の妻だった。
料理は飽きのこないシンプルな料理とした。
客単価は競合店の「東方見聞録」と「川のほとりで」の間の価格帯を狙い、4,000円と設定した。
約330平方メートルで180席。
月商2,500万円を達成した。
「ベルサイユの豚」

開店:2006年
    
東京・錦糸町。
豚を世界のあらゆる調理法で提供することをコンセプトにした。
入り口には豚を抱いたマリーアントワネットの肖像画。
店内には、実物大の豚の像が2つ。
こった仕掛けに、お客は歓声をあげた。

上場

2007年3月、株式を上場した。

上場先は、大阪証券取引所ヘラクレス(現ジャスダック)だった。

「100店舗100業態」を達成

上場後も、DDホールディングスは業態開発力を持ち味とした。

業界内でいち早く「1店舗1業態」というスタイルを確立した。

2010年10月には「100店舗100業態」を達成した。

店舗の種類を整理

2013年、飲食店のブランドを3つの分類(カテゴリー)に分けた。分類は以下の通り。

分類 具体的なお店の例
第1分類:
多店舗化・チェーン店化を図る
・ビール「グラスダンス」
・焼き鳥「鳥福」
・九州をテーマとする「九州黒太鼓」「九州熱中屋」
・土佐の食材をワラで焼く「わらやき屋」
第2分類:
少数展開のブランド。店舗数を増やせない
・テーマレストラン「アリス」シリーズ。(創業当初からあるファンタジックな店。)
・比内地鶏の「今井屋」
・水炊きの「さかえや」
第3分類:
将来的に多店舗化していく可能性のある育成ブランド
・個店ベースで肉料理の「ベルサイユの豚」
・チーズ専門店「花畑牧場十勝チーズ工房」

六本木に「1967」オープン

2013年4月、東京・六本木に「1967」をオープンした。

ラウンジカフェ。1960年代をテーマとした。

経営主体は、グループ企業「バグース」。

150.5坪。141席。カラオケルームも備えた。

外食企業「ゼットン」の稲本健一社長がクリエイティブディレクターを務めた。

デザイナーの森田恭通氏が内装を手掛けた。

「もっと遊べ、大人達」というコピーは、松村厚久氏が考えた。

上記3人全員が1967年生まれだった。

同年代、あるいは少し上の世代の熱烈なファンを獲得した。

東証一部に昇格

2015年に念願の東証1部昇格を果たした。

2020年2月期の売上高は573億円にまで成長を遂げた。

伝記本『熱狂宣言』

1部上場と同じ2015年にノンフィクション作家、小松成美氏による伝記本『熱狂宣言』(幻冬舎)が出版された。

パーキンソン病

松村厚久社長は、体が自由に動かせなくな難病「パーキンソン病」を患った。

30代後半で発症

30代後半に発症した。

若年性パーキンソン病だった。難病を抱えながら、試練を乗り越えた。

上場後も病気は公表されていなかったが、伝記本『熱狂宣言』の中で公表された。

ドキュメンタリー映画「熱狂宣言」

2018年、松村氏の奮闘を描くドキュメンタリー映画「熱狂宣言」も制作された。

有名映画プロデューサーの奥山和由氏が監督を務めた

映画では、30代後半で難病を発症しながら、「外食産業のカリスマ経営者」として活躍する姿を追った。

サービス精神旺盛な振る舞い

サービス精神旺盛な振る舞い。体がこわばって立てなかったり、うまくしゃべれないときもある。そうしたありのままの日常を映し出した。

あえてテロップを入れず説明も排除した「ダイレクトシネマ(観察映画)」の手法が採用された。撮影も、カメラマンでなく普段接するDDホールディングスの社員が担当した。約1年間、カメラを託した。

コロナ禍で債務超過

2020年にコロナ禍に襲われた。

2021年2月期の売上は234億円。なんと、前期比59.1%減という衝撃的な落ち込みだった。

最終損益は85億円もの赤字に転落した(前期は14億円の黒字)。

この結果、純資産はマイナス3億円となり、債務超過に陥った。

子会社

なお、コロナ禍に入る時点で、DDホールディングスのグループ会社には、中核の「ダイヤモンドダイニング」に加えて、以下のような子会社があった。

バグース(BAGUS) ダーツやビリヤードなどのアミューズメント事業
ゴールデンマジック(GM) フランチャイズ展開やライセンスビジネス。2020年9月1日付けで、株式会社ダイヤモンドダイニングに吸収合併
商業芸術 広島発祥。福屋八丁堀本店(広島市中区)の10階レストランやカフェなど広島県内で約25店舗を展開。

動画

公式インタビュー

創業時を語る

映画「熱狂宣言」予告編

女優・高岡早紀との交際について

趣味はサッカー

松村厚久氏の趣味はサッカー観戦。

そして、映画・DVD鑑賞。

映画は1日3本見ることもあるとか。

盟友・稲本健一

松村厚久氏の盟友の一人が、ゼットン創業者の稲本健一氏(当時53歳)である。稲本氏はDDホールディングスの取締役に就任。2017年から2021年2月末まで、ナンバー2としてDDの経営をサポートしてきた。

稲本氏はデザイナー出身でトレンドを掴む嗅覚が抜群であり、会社に大きな貢献を果たした。